2020年6月21日、父の日の夜明け前。
24歳の若き才能が、永遠に沈黙した。
彼の名はBris。
サクラメント・フルーツリッジエリアから頭角を現した、急上昇中のラッパーだった。
ニックネームは「Mr. Tricky Dance Moves」——
不気味でどこかコミカルな独特のダンス、そして冷徹に囁くようなフロウで、一気にシーンを掌握。
代表曲『Panhandling』をリリースしてから、わずか5日後。
Franklin BlvdとFruitridge Roadの交差点付近で、彼は銃弾に倒れる。
彼の音楽はこの先、何千万回も再生される未来が待っていたのに。
2020年6月——この時期の記憶は今でも鮮明だ。
新型コロナで仕事が止まり、ロサンゼルスの自宅に閉じこもっていた。
「Stay home」「Social distance」のスローガンが響く中、街ではBLM抗議が爆発。
ダウンタウンやメルローズのショップが破壊され、車が燃え、
毎晩のようにサイレンが家のすぐ近くで鳴り響く。
震えながらスクリーンを見つめ、ニュースを追い続けた。
夫の仕事でシカゴ移転の話が出ていた時期でもあったから、シカゴのローカルニュースも毎日チェックしていた。
Father's Day weekend——6月19日から22日にかけて、シカゴで104人が撃たれ、
15人が命を落とした。
3歳の男の子や13歳の少女を含む、子どもたちの名前が次々と報じられる。
「父の日の週末に銃乱射?!こんな街に絶対に行きたくない!」
そう強く思ったため、「2020年の父の日の恐怖」として今でも忘れられない。
同じ頃、全米で、フィラデルフィアや他の都市でもギャング絡みの銃撃が相次いだ。
才能ある若者たちの命が、無数に失われていった。
でも大手メディアのヘッドラインを独占したのは、George Floydの死だけだった。
「黒人同士」の暴力、「ギャング関与」の事件は、ほとんど「物語」として扱われない。
一人の命が世界を揺るがす一方で、何十、何百もの命が静かに消えていく現実。
その強烈なダブルスタンダードに、私は今でも息が詰まるような違和感を覚えている。
だから今、こうして書いている。
Brisの音楽を初めて聴いた時の衝撃を、そして失われた未来を忘れないために。
彼はなぜ消されなければならなかったのか?
メディアでは伝えられない
『赤』が『赤』を狩る戦場
ストリートの戦争の波に飲み込まれたフルーツリッジのカリスマの物語を
せめてここに刻んでおきたい
カリフォルニア州の州都、サクラメント。ベイエリアの華やかさのすぐ隣で、この街は全米屈指のストリート戦争を抱える危険地帯と言われている。
サクラメントのブラックコミュニティ、そしてその裏側に潜むストリートシーンは主に
・1940年代〜1970年代のアメリカ南部からの大移動の子孫
・サウスLA(South Central)やComptonなどの伝統的なBlackエリアから北上した中間層
・テックブームによるベイエリア難民(OaklandやFillmoreなどの歴史的なBlackネイバーフッドから離れた人々)
といった3つの異なる「波」が積み重なって形成された。
南部ルーツの伝統、LAのストリートカルチャー、Bay Areaの反骨精神といった多様なバックグラウンドが一つに溶け合った結果、サクラメント特有のストリートシーンを形成した。
Brisの本名はChristopher Treadwell
外見が「half Asianっぽく見える」という声もあるが、
アフリカ系アメリカ人の母親とメキシコ系の父親を持つ混血である。
1995年10月9日に誕生し、サクラメントの中でも犯罪やギャング抗争が多発する
荒れた地域「フルーツリッジ地区(Fruitridge)」で育った。
この地域は、1980〜90年代に麻薬取引や違法ギャンブルの暗黒街として恐れられていたが、
ヒスパニック住民の急増で今やメキシコ系が多数を占める多文化ネイバーフッドに変わっていた。
しかし、BloodsとNorteñosが混在する複雑な緊張地帯でもある。
Fruitridge Vista Nortenos(FVN)のホームグラウンドで、
主要なストリートは42nd Street。
このノルテエリアで黒人系のブラッズ・ギャングとして共存するFruitridge Bloods。
それがBrisの所属するギャングだ。
Brisの名は、本名の「Christopher」のCを、Bloodsの掟(Cripsを象徴するCを避ける)で
Bに置き換えたもの——それが彼のアイデンティティを象徴していた。
サクラメントはヒスパニック文化が根強い街で、Norteños(14 / XIV)のセットがいくつも存在する。
同じNorteños同士の「Red on Red」抗争が日常的に起きる一方、
Bloodsも「B on B」の赤対赤の内輪もめで血を流し続けている。
FruitridgeはFranklin Boulevard周辺のFranklin Boys(通称Franklones / VFB)や
Diamondz(VDS)といったセットが長年抗争を繰り広げてきた。
すぐ北側に位置するOak Parkエリアは、ラッパーMozzyが所属するOak Park Bloodsの縄張り。
南サクラメントのCML Lavish D(South Sac側)とMozzy(Oak Park側)のビーフは、
ただのラッパー同士のdis合戦なんかではない。
80年代から続く街を二分した血生臭いギャング戦争の延長線上にある。
BrisはCML Lavish D側だ。
South Sacの重鎮、CML Lavish D(本名Donald Oliver)が牛耳る陣営。
Lavish DはSouth Sacを拠点とするStarz(スターズ)のリーダー格。
このStarz gangは、オークランドから移住してきた黒人の若者たちが2000年代初頭に結成した
G-Parkway Mobb(G Parkway Mobb / G-Mobb)の直系だ。
Phoenix Park(旧Franklin Villa)のハウジングプロジェクトで生まれ、
Oaklandの影響を強く受けたハイブリッド集団。
伝統的なSouth CentralスタイルのCripsやBloodsとは違い、どちらにも属さない
——あるいは状況次第で両方の要素を取り入れる、Bay Area寄りの「クリック」文化を体現している。
CMLは「Cash Money Lavish」の略。獄中でブランド化した音楽・ビジネス部門で
レーベル「Bank’D Up Entertainment」を運営し、South Sacで圧倒的な影響力を持つ。
South Sacとは、サクラメント南部エリア(Fruitridge以南)のスラング。
高犯罪率、ギャング戦争、ドラッグが日常の地獄絵図だからこそ、
「South Sac Iraq」(イラク戦争並みの戦場)と呼ばれる。
Lavish Dの世代がCripsとBloodsの抗争をSouth Sac側で止めた形となったが
結果、Oak Park Bloods(Mozzy側)との対立がより鮮明になり、リアルな戦争に発展した。
Mozzy側のOak Park Bloodsは、1980年代に
Nigel Collins(元456 Island Piru Bloodsのメンバー)が創設した。
サクラメントで最も古いBloodsセットの一つで、LAから来たBloodsが
クラック・エポック時代に北上して根を張った歴史を持つ。
Mozzy(本名Timothy Patterson / Lil Tim)はここOak Parkのゲトーで育ち、
ストリートに完全に染まった。
音楽でメインストリームに成功しても、ストリートでは今もOak Park Bloodsをレペゼンし続けている。
大きく三つのセクションに分かれる:4th Avenue、33rd Street、12th Ave Bloodsが主要ストリートだ。
これらからFab、Zilla(Ridezilla / Underworld Zilla)、Boe、ShooterGang
といったクリックや同盟クルーが生まれた。
だが内部対立も激しく、バックドア(仲間内の裏切り)で血が流れるケースが絶えない。
長年の宿敵はSouth SacのG-Parkway(Starz / G-Mobb側)だ。
Garden Blocc Cripsをはじめとする数々のCripsセットとも敵対関係が続き、
Oak ParkはBloodsの牙城として南側を睨み続けている。
一方、北SacのStrawberry Manor Bloodsとは友好関係を保ち、
彼らの宿敵でもあるDel Paso Heights Bloodsとは対立している。
この複雑な同盟と抗争の網が、Mozzy vs CML Lavish Dのビーフをリアルに支えている。
Oak ParkとSouth Sacの縄張り争いは1980年代から根深い。
しかし2013年4月、Mozzyが放った一曲「The Truth」が火に油を注いだ。
このトラックでMozzyはLavish DをはじめSouth SacのラッパーやStarzの面々を直接ディス。
ビデオ公開からわずか12時間後、Mozzyの仲間Zilla Zoe(動画に出演)が
報復の銃撃で殺されるという惨劇が起きた。
Mozzyはトラックで語った「真実」が、リアルな血を呼んだ瞬間だった。
その後Lavish Dは「Mac Blast」でMozzyとその陣営を激しく挑発。
2014年3月、MozzyがPhilthy Richと組んだ
「I’m Just Bein Honest」でCML Lavish Dを直球ディス。
これでビーフは本格化し、MozzyはPhilthy RichやLil BloodのOne Mobと手を組み、
Oak Park側を固めた。
2015年3月、Lavish Dと仲間たちがサクラメントのArden Fair Mallの靴屋で
MozzyのマネージャーBillydee "Kill Bill" Smithを襲撃。
その様子を動画で撮影し、ネットに公開した。
Lavish Dは銃と暴行罪で懲役6年の判決を受け、服役。
この事件の余波で報復連鎖が爆発し、25人以上が撃たれ、街は一時戦場と化した。
Lavish Dが出所後、2020年にMozzyへのディス曲「Where's Waldo Pt. 2」をリリース。
抗争は再燃し、South SacとOak Parkの溝は今も埋まっていない。
ラップのビーフがストリートの死を加速させる——それがサクラメントの現実だ。
Brisの死は、地元ギャング抗争やストリートビーフが大きく影響していると広く考えられている。
特に、Mozzy陣営に近いUzzy Marcus(Marcus Weber)と激しいビーフがあった。
Brisが対峙していたのは、単なるラッパーじゃない。
サクラメントのストリートが産み落とした「狂気」そのものだ。
Uzzy Marcusは2012年、3歳児が犠牲になったドライブバイ・シューティング事件で
逮捕・起訴された過去を持つ。
7月4日の独立記念日、Jorge Azios IIIという幼児が車内で寝ているところを銃撃され死亡。
Uzzy(当時16歳)と仲間たちが容疑者をかけられたが、
裁判で主な目撃者・協力者の証言が崩壊。
多くの証人が口を閉ざし、検察のキー証人さえ嘘を重ねて信用を失った。
結果、2015年の裁判で陪審が有罪を決めきれず、検察は再審を断念。不起訴に終わった。
真実が闇に葬られたことで、逆に彼への恐怖が増幅。
「冷酷な実行犯」としてのイメージがストリートで固まった。
そして彼の兄、Raymond Weberはさらに衝撃的で異常な事件を引き起こした。
2021年1月、Raymond(当時29歳)は自身のフィアンセSavannah Rae Theberge(26歳)と
15歳の少女を殺害。
その後、銃を振り回しながら遺体をInstagram Liveで晒すという前代未聞の蛮行に及んだ。
36分間にわたるライブストリームで、遺体をカメラに映し続け、街全体を震え上がらせた。
この狂気は、地域社会に深い恐怖と絶望を刻み込んだ。
Uzzy MarcusとBrisのビーフは、2019年頃からエスカレート。
Uzzy Marcus(36th Street Zilla Blood、Mozzyのサークル)は、
2019年8月25日に「42K」をリリースしBrisをディス。
「36th Street, so you know it's 42K, n**」
——俺たち(Oak Parkの)36th Streetだからわかるだろ。(Fruitridgeの)42nd Streetをキルする側だ
Brisはわずか4日後に反撃。
「Sparked a Fuse」をドロップし、フックでこう返す
「Y'all just sparked a fuse, that mean it started back」
——お前らが火をつけた、つまり戦争再開だ。
以降、両者の間でスニークディスや直球のラインが飛び交い、音楽のビーフがストリートに漏れ始めた。
ここに個人的な火種が絡んだ。
Brisの元恋人JaleecはUzzy Marcusのベイビーママで、Uzzy との間に2人の子供がいる。
BrisはJaleecと交際していた時期に浮気をし、別の女性との間に子どもをもうけた。
その後JaleecはUzzyと付き合い始め、彼女自身がビーフを煽ったとも言われている。
三角関係が縄張り争いと混ざり、ただのラップdisじゃ収まらなくなった。
Brisは後年の「Need Hammy」でそれを痛烈に刺す。
「Yeah I know my ex mad and she real salty / She be running in that bag and she still call me」
——元カノが激怒してるのは知ってる。あいつは相当悔しがってるのさ。
自分の力で金を稼いで成功してるはずなのに、未だに俺のことが頭から離れず、電話してくるんだぜ。
そして2020年6月21日、父の日の深夜0時半過ぎ。
Brisはガールフレンドと共に、
ガソリンスタンド併設のAM/PMコンビニエンスストアに立ち寄った。
店内で彼は、ライバル関係にあったFranklones(VFB)のメンバー
Moses Hirschfield(当時19歳)と遭遇する。
危険を察知したBrisは、即座に店を出て車で逃走した。
しかしMosesはこれを追跡し、
時速180kmを超える超高速チェイスが発生する。
0時41分頃、Jimboy’s Taco付近でBrisの車はコントロールを失い、クラッシュした。
Brisは同乗していた女性が標的にされないよう、
「自分とは反対方向へ逃げろ」と指示し、車を降りて走って逃げようとした。
当時流行していた、いわゆる“サギースタイル”――
ベルトを締めず、ズボンが膝付近まで落ちた服装が、
全力で逃走するうえで足かせになったとも言われている。
Brisは追ってきたMosesに頭部を撃たれ、その場で命を落とした。
実行犯として3か月後に逮捕されたMoses Hirschfieldは
2024年、第一級殺人で有罪判決を受けている。量刑は50年から終身刑となる見込みである。
MosesはUzzy Marcus側の人間とされ、
Brisの首には驚くほど低い懸賞金がかけられていた、という噂も存在する。
しかしUzzy Marcus本人が事件に直接関与した証拠はなく、彼自身が逮捕されることもなかった。
Uzzy MarcusはBrisの死後もディスを続け、元恋人Jaleecもまた、Brisを軽蔑する発言を公にしている。
全体としてこの事件は、Mozzy陣営とLavish D陣営という、
サクラメントの二大勢力による大きな抗争に巻き込まれた結果だと見る向きが強い。
また、亡くなる直前――2020年6月20日。
Brisはファンに向けたライブストリーミングを行っていたが、その配信中、
彼は運転しながら何度もバックミラーやサイドミラーに視線を送っていた。
異常なほど周囲を警戒する様子が映し出されており、極度の緊張状態にあったことがうかがえる。
この挙動から、当時すでにBrisは何かを察知していたのではないか、
あるいは“死の予感”とも言えるパラノイアに囚われていたのではないか、
そう語られることも少なくない。
Brisが命を落とす、わずか5日前の2020年6月16日にリリースされた楽曲
『Panhandling』は、公開直後から爆発的な勢いで再生数を伸ばし、現在までにYouTubeで2,000万回以上の再生を記録している。
Brisは当時、サクラメントのシーンにおいて、まさに急上昇中のラッパーであった。
彼はサクラメント南方の街・ストックトンのEBKクルーと深い繋がりを持ち、
EBKのラッパーたちにとっても、Brisは突出した才能を持つ存在として認識されていた。
EBK Young JocやYoung Slo-Beらと複数の楽曲を共にし、
その交流は単なる客演にとどまらず、
シーン同士を結びつける役割を果たしていた。
Bris特有のウィスパーフロウ、そして内省的で鋭いリリックは、
彼を参考にスキルを磨いたラッパーも多く、
SacramentoとStocktonという二つの街を繋ぐ“橋渡し役”だったとも言われている。
一方でMozzyは、敵対勢力であるMuddy Boys所属のラッパー、MB Nelと音楽コラボレーションを行い、NorCalにおけるギャング/ラップ抗争をさらに複雑化させていった。
ブリス(Bris)は、単に「ラップが上手い若手」ではなかった。
長年、Mozzy一強とされてきたサクラメントの勢力図に風穴を開けた、
天才級の才能を持つゲームチェンジャーであった。
彼の死後、多くの人々が悔やんだのは、「失われた命」だけではない。
彼がこれから生み出すはずだった音楽、そして、まだ誰も見たことのなかった未来そのものであった。
もし生きていれば、Brisはサクラメントという枠を超え、
西海岸全体を代表する存在になっていた可能性は、十分にあったと語られている。
しかしストリートは、
才能や可能性が成熟するのを待ってはくれない。
本来なら、もっと大きなステージで、
あの不気味でコミカルなダンスと共に響き渡るはずだった音は、
あまりにも早く、そして永遠に失われた。
Brisの物語は、夢と現実が交差するその場所で、幕を閉じた。
RIP Bris
“Tricky Dance Moves” 🕊️